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社長の生い立ち
株式会社FURUTA
代表取締役 古田 剛の
生い立ちと家づくりへの想い
昭和54年4月 下呂市で古田家の次男として生まれる。
幼いころは典型的なおじいちゃん子。
TVはおじいちゃんの好きな相撲か時代劇。
休日はおじいちゃんの手伝いで野良仕事。
寝るのもいつもおじいちゃんと一緒。
いつも兄からパワハラ受ける私を、おじいちゃんが助けてくれました(笑)
生まれた家の部屋は薄暗く、二階は蚕(カイコ)をかうだけのスペース。
おまけにトイレは外のぼっとん便所。
家の中は埃がひどく、アトピー性皮膚炎やアレルギーに。
流石に家が古すぎたため、私が小学1年生の時に自宅が増築工事されることに。
いつも興味津々でその工事を眺めていた私。
その時の大工さんの
のこぎりや金づちを大きな手で手際良く作業している姿
高所で材料を組んでゆくたくましい姿
が今でも鮮明によみがえってきます。
薄暗く、埃っぽく、段差だらけでトイレは外のボットン。
そんな家しか知らなかった私の目に入ってくる、明るくきれいな白い壁、家の中にある水が流れるトイレ。
大工さんってすごい!!!
小学1年生の時のこの経験と感情が、間違いなく大工を目指すきっかけとなりました。
社会人デビューするも入院
幼い頃から体を動かすことが大好きだった私は、
冬はスキー、夏は川で魚採りと一年中外遊びに夢中。
でも、勉強は嫌い。
中学、高校と進学しても勉強嫌いは変わらず、体は動かすが頭は動かさない。
そんな自分には、専門学校や大学への進学の選択肢はありませんでした。
大工になりたい
子どものころからの憧れは消えず、担任の先生に希望を伝えました。
しかし、あえなく撃沈・・・・・・
この頃はリーマンショックからの不景気のあおりを受け、『就職氷河時代』
そんな時代なので建築業界からの求人はなく、仕方なく地元のホテルに就職することに。
特に何の思いもなく始まった仕事だったのですが、日々働く中で
お客様に対する言葉づかい
思いやりの心
出会った人への感謝の気持ち
色々なことを学び、接客業にやりがいを感じるようになっていきました。
そんな日々を送る中でも、休日は相変わらずの外遊び。
11月から5月までの1年の半分の休日は、すべてスノーボードに費やしていました。
スノーボードではジャンプにハマり、大きいサイズのジャンプ台を探しては飛ぶ日々。当然のように怪我をしてしまい、手首を脱臼。
それでもスノーボードがしたい私は病院に行かず、テーピングでグルグルに巻いてシーズン終了まで過ごしました。
その後に病院へ行くも無理の代償として、手術、入院することに。
運命を変える出会で憧れの世界へ
当時は入院といえば大部屋。
色々な人が様々な怪我で入院していましたが
私は皆とすぐに仲良くなり、色んな話をしました。
そんな中に住宅の屋根や壁を貼る板金屋さんがいました。
その人は仕事で怪我をして入院していたのですが。優しさの中にもたくましさを感じ、かっこいい!!!と惹きつけられました。
やっぱり職人になりたい!!!
家づくりに携わる仕事がしたい!!!
子どもの頃の想いが再び湧き上がってきたのです。
無事に退院した私は居ても立っても居られなく、大工の弟子募集の情報を探します。幸運にもチャンスを掴むことができ、誰に相談することもなく弟子入り。
けれども、職人の世界は甘くはなかった・・・・・・
下っ端の私は、朝誰よりも早く出社してストーブに火をつける。
先輩のコーヒーを入れ、作業の段取りや道具の準備をする。
仕事が終わり先輩が帰った後に刃物の手入れをし、材料の切れ端で木組加工の練習。夏は暑いし、冬は手がちぎれそうなほど冷たく、高い所がとにかく怖い。
でも楽しかった。
ドンドン家が出来てゆく事がうれしくて
「ありがとう」
お客様からと感謝の言葉を頂いたときの喜びに
何よりのやりがいを感じていました。
憧れた世界で働くことができ、順調に経験を積んで技術も身に付いてきたある日。
工場の中に響く先輩の声。
「危ない!!!外へ出ろ!!!」
先輩はラジオで聞いていたようで、すぐに大きな揺れが。
2011年3月11日 東日本大震災
映画のような映像がTVに映し出される日々。
大津波に巻き込まれる家、車、人。
生きていることは当たり前ではない、という事を初めて感じさせられました。
しかし、そんな惨状の中で目に入ってきたもの。
壊れていない家がある
これが私の「家は家族の命を守らなくてはいけない」という考えのもとになっています。
この、丈夫な家を作ることと共に気になっていたことがもう一つあります。
子どものころのアトピー性皮膚炎やアレルギー性鼻炎などが何故ひどかったのか考えるようになり、シックハウス症候群にも関心が向くようになりました。
大工工事は与えられた図面を形にするすごくやりがいのある仕事ですが、
耐震や健康面を踏まえた「設計」はできません
組み立てるだけでなく、一から家の計画や設計をしなくては住む人にとって本当に良い家を提供することはできない使命感が自分自身を動かしました。
建築士の免許を取ろう!
建築士免許取得と独立
建築士免許は学科と実際に図面を描く実施に分かれており、学科に受からないと実施を受けられません。ずっと勉強を避けてきた私でしたが、生まれて初めての「勉強モード」に。
仕事が終わった後、車で1時間かけて夜間学校へ。
法令集や参考書なども生まれて初めて書店で購入し、唯一の日曜日の休みも勉強の日々。
勉強する時間がもっと欲しい!と、それまでの自分と同じ人間とは信じられないほど、勉強することに時間を費やした結果、見事合格!
人間、やればできるんです(笑)
しかし、資格を取得して終わりではありません。
一からの家づくりに携わるために、次は独立開業を目指します。
2013年1月 独立
長年お世話になった会社を辞め、夢いっぱいに外の世界へ。
けれどもいきなり仕事の依頼などあるわけもなく、下請けの大工工事や知り合いの大工さんの手伝いで何とか生活している状態。
仕事がなく、遠方に出向かなければいけなかった時は、健康ランドで数か月生活したこともありました。
そんな中でも色々な工事に携わることで工法のことや素材のことなど知識、経験を身に付けることができ、自分自身の成長にはつながっていました。
沢山の人たちとの出会いもあり、やりがいも感じてはいたのですが、何かが足りない。
これが本当に自分が作りたかった家なのか?
もし自分ならこの家にすみたいのか?
何のために独立したのか?
次々とわいてくる疑問。
やっぱり一から自分でやらないと!!!
目を覚ました私は、丈夫で安心で健やかに生活出来るにことにこだわった、
理想の家づくりに向かって歩み直し
KO-KEN HOME DESIGN の
自然素材をふんだんに使用した家
を誕生させたのです。
家族の命を守る丈夫な家。
家族の健康を守る自然素材。
『家族の幸せと健康を創造する』
これが私たちKO-KEN HOME DESIGNの使命です。
下呂市で生まれ育ち、
下呂市に何を遺すのか
青春時代を過ごし、大工の道へ導いてくれた下呂というまち。
新しい店ができると話題になり、近所の人に子どもができると笑顔の噂がたち
人のつながりや思いやりがあふれている下呂。
この素晴らしいまちを、若い世代が移り住みたくなるようなまちにしたい。
地元企業であるからこそ、人と人とをつないでまちを元気にしたい。
50年後も100年後も元気な下呂であってほしい。
このまちに住むすべての人が幸せであってほしい。
そう願ってKO-KEN HOME DESIGNは歩んでいきます。
古田 剛
昭和54年4月16日生まれ/A型/牡羊座- 趣味
- ゴルフ、スノーボード、バイク
- 子供
- 平成20年、平成24年 生まれの女の子
- 座右の銘
- 出来ない理由を探さず出来る方法を考える